今更なのだが千原ジュニア「14歳」を読んだ。
ジュニアの葛藤がよく分かる話だった。そんな彼の葛藤が分かるということは僕はまだ14歳のままなんだろうか。44歳なのに。

人と同じことを嫌って、人と違うことに不安を抱く感情は、そのまま僕だ。ジュニアは一年ほどで兄に引き寄せられるように吉本に入り、自分の戦う場所を見つけ、今も戦っている。
僕は未だに見つけられないままいる。
見つけたのかもしれないけれど、準備不足だ何だと言って戦場には出ていない。
第四話で、登校拒否の子供を取り上げたドキュメンタリーの話がある。
コメンテイターが「我々大人たちが悪いんだ」という言葉に対して「ふざけんな」と言う。
「僕は一ヵ月間誰とも話していない。
だけど、そんなに悲しいことじゃない。
そんなに深刻なことじゃない。
僕はどこかで、そんな自分を楽しんでいたりする。」


おそらく働きもしない、いい歳した男を端から見えればおかしいと思うだろう。
確かに貯金も残りわずかになり、危機的ではあるけれどどこかで「そんな自分を楽しんでいたりする」。
「何をいい歳した男が」そう思う人が多くいることは分かっている。自分の方がおかしいということもわかっている。
もおしかしたら、いや、確実にただ言い訳をつくって逃げているだけなのだろう。顔だけ老けていくガキなんだろうとも思う。
「だってそこには僕がいつか手に入れたいきれいなモノがないって知っているから。
そこには僕が前へ進むための力になるモノなんて一つもないって解ってるから。」

ずっとずっとそんな想いを引きずっている。

ジュニアは自分の部屋を飛び出せたけれど、僕はまだ部屋にいる。
何度か部屋を出て「人と同じようなこと」をしてみたけれど結局また部屋に戻ってきてしまった。

確かヱヴァンゲリヲンも14歳の少年少女が主人公だったと思う。エヴァの呪縛とかで、歳を取っても外見は変わらないらしい。
これって自分の世界にどっぷりはまり、好きな事ばかりして世間を知らない大人たちの心の事なんじゃないだろうかとふと思った。
世間の常識、社会の常識と自分の常識というか考え方、価値観が違いすぎてうまく生きていけずどんどん自分の世界に引き籠もり、自分の考えを大きくさせ、自分の考えこそが正しいと思い込もうとする姿に似ている気がする。
「自分に固執」する危険性をシンジに見立て、社会で折り合いをつけていく姿をアスカに見立てて、ヱヴァンゲリヲンのストーリーは繰り広げられているんじゃないだろうかと思う。
エヴァは輪廻転生話だとどこかで見た記憶がある。
それはテレビ版が一度目の人生、最初の映画版が二度目の人生、そして今四部作として作られているのが三度目の人生なんだと。
どれも始まりは同じだけど途中から変わり、エンディングが全て違う。
そしてカヲルが序のラストで「また逢えたね」と言うように、それは暗示されている。カヲルだけがやり直した人生の中で、共通の存在、一貫した存在で全てを見守る存在として描かれている。
またタイトルにおいて「You are (not) alone」「You can (not) advance」「You can (not) redo」の(not)を選んだ場合と選ばなかった場合の未来が描かれているとも書いていた。
生きている中で何度もある選択するとき、人はその選択を失敗すると選ばなかった別の選択肢を選んだときの姿を想像してしまうことがあるかもしれない。
何度人生をやり直しても、自分が変わらなければ同じ選択肢を選び、別の選択肢を選んでも自分自身が変わらなければ、結局は似たようなエンディングになるという事を庵野秀明は言いたかったのかもしれない。
変わるチャンスは別に人生をやり直さなくてもあるのに、「あのときああすればもっと…」ともう取り替えしがつかないかのような錯覚や幻想に陥る。


いつも書いていて思うのだが、初めに書こうと思った事が書いているうちに段々ずれていってるような気がする。
それは話の流れで変わっていくこともあるし、ちゃんと言葉にならなくてその言葉を探しているうちに別の方向へ行ってしまうこともある。特に後者が多い。
「14歳」にしても、「わかるわあ!」という感想があって、どう分かるかってことを書こうとするのだが、なかなか上手い表現が見つからず書けない。
部屋での葛藤や、親に対しての気持ちとか「ごめんなさい」という言葉、それぞれが痛いほどよく分かるのだが、
それを言い表す上手い言葉が見つけられない。
昔はその言葉が見つかるまで、いろいろ考えるのだが、なかなか見つからず時間がどんどん過ぎていって、
ようやく見つかった頃には鮮度が落ちてしまって、感じたその時の気持ちで書けなくなっている。
そして書かないまま過ぎてしまって何も残らないままになっていたので、ずれても良いから書こうと思い残している。だから何度も同じ事を書いているし、その結論が違うこともある。
また、それはまとまってもいないし、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりとテーマや言いたいことがフラフラしている事が多い。
mixiにも2006年あたりから日記を書いているのだが、そのうちその日記をアーカイブとして残していこうと思う。
過去に自分が何を考えどう生きていたかを残しておきたいから。