もぐぞうのあなぐら

周りの人達と上手く渡り歩けないもぐぞうが日々感じたことや考えを思うままに書き連ねます。

2011年04月

週末の出来事

昨日突然彼女から愛犬が脱走したとメールがありました。
仕事を終えると直接彼女ん家に行き、犬を探しに回りましたが見つけられず夜をあかしました。
今日昼過ぎ彼女の長男が突然犬の名前を呼びました。
すると今までぐーすか寝ていた彼女が一瞬で布団から起き上がり、「ぴぴ(犬の名前)帰ってきた!!??」と叫んで跳んで行きました。

僕は単なる脱走だと思い、車に轢かれてなければいいなあくらいに思っていて、自分の力で帰ってこれたから「大したことはないなあ」と思っていましたが、昨日の雨に濡られたのかみすぼらしい姿で帰ってきました。
よくよく見ると片足を怪我してるし目は充血、元気は全くありませんでした。
夕方に動物病院に連れて行くと強い衝撃を右側面から受けたらしく、推測するに走ってる車にぶつかったらしいです。
病院で注射を打ってもらい少し元気になりましたが、その怪我をいつ負ったかによって今後の診断が変わってくるそうです。
言葉は悪いですが、いわば単なるペットです。
普段どうみても可愛がってるようには思いませんでしたが、犬が帰ってきてからの、彼女や息子の様子を見てると愛情たっぷりに心配してました。
僕は愛しいものに対して「可愛い可愛い」と相手は犬ですが猫可愛がりをしてしまいます。
普段、彼女や息子は自分は可愛がってるつもりらしいですが、僕の目から見るとそうは見えませんでしたが、今回の事故の後の行動は本当に愛情たっぷりでした。
そこで思ったのは、僕の可愛がり方はある種、過保護に近いものなのかなあっと。
愛情とは目に見えないものでそれは受け手にしか分からないものです。
車で病院に行ったとき、受付をしに彼女は先に車を降り、僕は犬と一緒に車の中で待ちましたが、さっきまでおとなしく彼女に抱かれていた犬が落ち着かなくなりました。
僕が抱いてやってもどこか落ち着かない、安心してない様子でした。病院の中でもずっと彼女の方にいこうと、気をかけている様子でした。
やっぱりこういうのが本当の愛情なんだなあと思いました。
本当に弱っている時に『誰の側にいたいか』『誰が側にいてほしいか』でそこに愛情があるのか、あったのかが分かるような気がしました。
普段端から見ると邪険に扱われているようでも、心は飼い主である彼女やその家族に向いてるのです。
だからこそ獣医から「こんな状態でよく家に帰って来れましたね」と言われるくらいの瀕死の重傷でも、我が家である自分の家に帰って来れたんだと思います。


徒然なるままに…

昨日1月下旬に診察予約していたH医院にようやく行ってきました。
予約した時に4月まで一杯ですと言われた時は愕然としましたが、
ようやくその日が来ました。

最近は仕事の山を越えてかなり楽だったので別にもういいかなあともおもっていたのですが、
とりあえず診察を受けてみました。

まるこ曰く「めっちゃポジティブやで」と聞いていたが
別段ポジティブだとは思いませんでした。
とにかく患者の言葉をに耳を傾ける良い先生でした。

まあ、初診ということでいろいろと聞いてくれたのかもしれませんが、
しばらくは通院してみようかと思います。

そのDr.Hとの会話の中で印象的だったのが、
「仕事に合わせてハードルを下げていきましょう」
「プロのバッターも7回失敗しても一流ですから」という言葉でした。

どうしても僕はストイックというか全ての事に対して全力で取り組んでしまうため、それが自分の首を絞めてしまうことがあるのです。
仕事によってはそれほどのクオリティを求められていなくても
営業から指摘されてしまうんじゃないかとビビってクオリティを上げようと
「これじゃあ駄目だしされる」と勝手に思い込んで
袋小路に陥っていた事に気付きました。

それと7割の失敗も単なる凡打ではなく意味ある凡打にしようと必死でした。
ランナーがいればバント、いなかったらホームラン狙いの三振でいいということを忘れていました。
10割バッターを目指していた訳ではありませんが、
三振を恐れボール球に手を出さないようにし、
とにかく塁に出ようとボールを見極め、
結局見逃がしの三振をしてしまっていました。

とにかく状況を俯瞰で見る事が出来ていませんでした。


話は変わりますが、
先日過去の僕の日記を読み返していたのですが、
手前味噌ですが、結構いい事を書いてるなあと思いました。

その時その時感じた事を正直に書いているのですが、
同じような事を何度も書いてたりして、ぶれてないなあっていうのが正直な感想です。
まあ、成長してないとも言えますが、
後先の事を考えず思った事を書き連ねてそれが何年経っても変わってないってのは、
それは一つの指針というか、
僕自身の性格というか考え方、価値観ということなので、
それはそれでいいのではないかと。

あまりコメントを頂けていませんが、
さほど、落ち込むほど逸脱した内容でもないですし、
それが他人から見たら受け入れられないのであれば仕方のないことだと思います。
コメントしづらい内容といえば内容ですしね。
とにかくこれからも思った事をどんどん書いていって、
未来の自分に届けたいとおもいます。



俺にできねえ事をお前がやれ!byサンジ

「お前に出来ねえ事はおれがやる。俺に出来ねえ事をお前がやれ」
これはコミック「ワンピース」のサンジのセリフです。

巷ではいよいよプロ野球が開幕しました。
始まるまですったもんだがありました。
特に巨人がわがままをいって3/25だの3/29開幕だのと言ったが
世論と選手会の努力で昨日セパ同時開催となりプロ野球が始まりました。

そのゴタゴタの中で「プロ野球で被災者を勇気づける」だとか「僕たちは一生懸命のプレーを見せるしかできない。その事で被災者を応援するしかない。」
などと言葉が出てきましたが、
正直『プロ野球で一体何ができると言うのか?』という想いがありました。
おこがましいにも程があるという気持ちでした。
だからといってプロ野球を中止にすればいいとは思いませんが、
そんなたかが一スポーツで何ができるんだと思っていました。

しかし、いざ開幕して思う事は
僕自身阪神タイガースのファンで阪神の試合の結果はやはり気になるし
勝ったと聞けば嬉しいものです。
そして、被災地の東北や関東にも阪神ファンや巨人ファンがいて、
その応援しているチームが勝つことで気分が晴れる人も少なからずいるんではないか、
勝てないまでの好きな選手のプレーが春から秋にかけて見れる事で
ストレス発散になる人や、アイドルを見るような眼で楽しめる人がいるんじゃないかと思いました。

そしてそれはプロ野球ファンを楽しませ、サッカーファンはJリーグで楽しみプロゴルフファンは石川遼の活躍に勇気づけられるんじゃないかということです。

そういうそれぞれの分野でそれぞれの人が頑張ることでわずかながらも
それが好きな人を元気づけそれがたくさん集まって全ての人を元気づけるのではないかということです。

プロ野球はプロ野球ファンしか楽しませられないし、
サッカーはサッカーファンしか楽しませられない。

本当にわずかなちっぽけなパフォーマンス、アクションでしかありませんが、
それでもたった一人でもそれを待ち望んでいる人を元気づけられ勇気づけられるという事はとても尊いことだと思いました。
そのわずかな行動がわずかな人を元気づけそしてそれが、そのちっぽけな行動がたくさん集まって全ての人を元気づけられればとても価値があることになります。

スポーツが好きな人をスポーツで元気づけ、
歌が好きな人をミュージシャンが元気づけ、
人の話を聞くことしかできない人が人の話を聞き、
瓦礫を片付ける事しか出来ない人が瓦礫を片付け、
そういう些細な行動があつまり、全ての人を助ける。

それでいいし、それがいいと思うのです。

自分が出来ない事を無理してやって、
自分の体を壊してしまう事は回りまわって被災者が加害者になってしまうことで、
それは被災者が負担をかけている事になってしまうのです。

だから、出来る人が出来る事を精一杯すればいい、
何もできないなら何もしなくていいんです。
「俺には何もないから体だけでも…」と何も持たずにボランティアにいっては現地の人の負担、迷惑になるだけで、それはマイナスになります。
何もできないなら何もしなければゼロです。マイナスにはなりません。
そして、自分の力が発揮できる時に存分に発揮すればいいのです。

僕はそう強く思います。

生きていること

災害救助犬が1日で150体の遺体を発見する震災の惨状
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1561375&media_id=125



今日生きたつまらない昨日と同じ一日は誰かの生きたかった一日。

頑張れでも、頑張ろうでもなく、「頑張ります」「僕は一日を頑張って生きます」それでいいんじゃないだろうか。

一万人以上の死者とそれ以上の行方不明者。

様々な思いと一緒に波にさらわれてしまった人達、瓦礫に埋もれた人達、焼かれてしまった人達。

この悲しみから目を逸らして生きてはいけないと思う。

41回目の春


昨日は僕の誕生日でした。
4月初めの誕生日ってのは始業式前であったりなんだかんだで人に祝ってもらうことが少ない日なので、あまり嬉しい日ではなくどちらかというと寂しい日であったりするのです。

しかし今の彼女と付き合い出して、何かとしてくれるので密かに楽しみにしてました。
出会ったばかりの頃は自分の誕生日が近づいても何も言ってなかったのですがたくさんのプレゼントをもらい、お祝いをしてもらって幸せな一日でした。

今回も誕生日が近づいても何も言わずにしてました。
彼女ん家はそんなに広い家ではないのですが、いつもどこにそんなものを隠してたんだというような大きな箱やら袋やらが出てくるのですが、今年は以前から「金がない金がない」と言ってたのでまあ、「ケーキがあったらええわ」とだいぶ前に言ってたのでケーキぐらいはあるやろうと思ってました。

彼女は最近ヘルパーの資格をとるとかで勉強し、前の職場の手伝いやら、友達のスポーツクラブK-Styleの手伝いやらで忙しく動き回りかなり疲れてる様子でしたので、大して期待もせず、まあ、それは慣れたもので普通に彼女ん家に土曜日に行きました。

結局誕生日までにプレゼントを買う時間がなく一緒に買いに行く事になり、彼女はキーケースを買おうと思ってたのですが、今僕はキーケースを持ってるので却下しました。
あれこれ話して結局パソコンのスピーカーかリュックサックにしようっということになり、京都のヨドバシカメラに行きました。
ヨドバシカメラにはパソコン用のリュックサックが沢山おいてあるのを以前から知っていたからです。
店にはまさに僕が求めてるリュックがありました。しかし金額をみると少し高かったのです。しかし、それを彼女が買ってくれました。

サプライズ的なプレゼントも予想外で楽しいものなのですが、こうして自分の欲しいモノを買ってもらうというのもまたいいもんです。
特に僕みたいにあまり物欲のない人間は好みが掴みづらいし、モノが捨てられないタイプなので服とかをもらってもあまり着る機会がなかったりします。
かといってこだわりのある僕に中途半端なものを買ってもなかなか喜ばすことができないので、こうして一緒に直接買いに行くのが一番だと思いました。

このリュック本当にいい出来なんですよウッシッシ手(チョキ)



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