もぐぞうのあなぐら

周りの人達と上手く渡り歩けないもぐぞうが日々感じたことや考えを思うままに書き連ねます。

2013年09月

初びわ湖キャンプ

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三連休ということでキャンプに出発。しかし、いつもの梅ノ木キャンプ場が台風の影響で大変なことになっていました。で、スマホを駆使していろんなキャンプ場を探し手頃な値段の滋賀県はマイアミランドにきめました。
おもっていたより暖かく意外といい感じです。ちょっと奮発すれば、隣のマイアミ浜オートキャンプ場でリッチに過ごせたのですが、今回はこれで我慢。これで充分です。

台風が京都を襲った日に…。

書こうかどうしようか本当に迷いました。
単なる自己満足なんだろうし、自分の事ではないし、
書くことで不愉快な思いをする人がいるかもしれないから。
でも、やっぱり誰かに知ってもらいたいから書きます。
独りよがりだろうと、自分勝手だろうと
パソコンの中に書きとどめておくと
幻のように、嘘だったかのようになってしまいそうで怖いので書きます。



彼女の愛犬、ピピと初めて出会ったのは彼女と付き合う前。
彼女の誕生日に呼ばれて、家に行ったとき。
いきなり、盛ってきて驚いたことを覚えてる。

恐がりで、寂しがり屋さん。
雷が鳴ると床を掻き掻きし出す。
買い物に出て帰るともう玄関で待っている。

俺の顔を見ると散歩に連れて行ってもらえると思うのか、
散歩に連れて行くまでひたすら吠える。

夜中でも散歩に行きたくなったら、俺の顔を手で掻いてくる。
子供達に遊ばれると逃げて僕の膝の上にあごを乗せてくる。
ピピを連れて外出したときなんか、ピピを車においてコンビニに入ると、
出てきた僕たちを見つけてドアを掻き掻きしながら必死で吠える。
おかげで車のドアは傷だらけ。
近くのキャンプだと一緒に連れてって水浴びなんかもした。
時には脱走して探し回ったりもした。
車か何かとぶつかって瀕死の状態で帰ってきて大騒ぎになったこともある。

ボロ雑巾のようにクシャクシャのピピ。
同じミニチュアシュナウザーとすれ違うと
方やキリッとして立派な犬で
方や毛も伸びたい放題のみすぼらしい犬。
でも、そんなピピがピピらしくて大好きだった。

それが最近畳をほじくり返す行為がひどくなっていた。
一時期、僕が会社を辞めて彼女の部屋で時間を過ごすことが多くなり、
ピピも一人で留守番しなくてよくなり、
僕のそばで寝てたり、風呂場で寝そべったり、好きにしていた。
その後、色々と忙しくなって彼女の部屋に行かなくなったから、
今まで以上に寂しがってそういうことをするのだと彼女から非難されたが、
今思えばその頃から病魔に襲われていたのかもしれない。


9月14日に彼女からのメールで
「ピピ長くないわ。この3日が山やわ。」と連絡が入り、急いで彼女の家に向かった。
心拍数が高く「ハアハア」言いながら苦しそうだった。
時折、キャインキャインと声を上げる。

脳の中枢がやられているらしく、
精密検査をしなければ、どう処置をしていいのかも分からない状態。
しかし、MRIだけでも5万円以上。
麻酔や手術をいれたら相当な金額になる。
彼女は治療を拒否した。
致し方のない判断だと思う。
年が年だし、病気の箇所が箇所だから、
それよりも一日でも長く家で過ごすことを考えた彼女の英断だったと思う。

目も見えなくなっていたピピは、
普段なら玄関を開けるとすぐ飛んでくるのに
苦しそうな息を吐きながら、娘のそばで寝転び身動きも取れなかった。
僕がそばに寄ると、ようやく気づいたのか身を起こそうとした。
でも、いつものようには立てなかった。
僕は、何もしてやれず、言葉さえかけてやれなかった。
その日、一日家族みんなでピピの様子を見守った。
見ているだけでつらく安楽死させてやりたいと僕は強く思っていた。

時折、おもむろに立ち上がり、見えない目でそこら辺にぶつかりながらどこかに行こうとする。
もしかしたら、死に場所を探しているのではないかと思うように
部屋の隅へ隅へ、小さい隙間へと歩いて行っては横たわる。

ハアハアいうので、水を与えようとするが、その水がどこにあるのかさえもわからない。
横たわってしばらく落ち着いていたりするときもあるが、
それはそれで、死期が近いんじゃないかと不安になった。

夜中もそんな状態が続き、あまり寝られないまま時間が過ぎた。
夜が明け8時を過ぎた頃、僕はウトウト寝ていた。
すると、彼女が「ピピがおかしい!」と叫んだ。
飛び起きると、もう息も絶え絶えで目はうつろ、
肺だけがゆっくりと動いているだけで、手足は固まったままだった。
すると、ゆっくりと呼吸は止まっていった。
僕は、分かっていたこととはいえ、しばらく呆然としてしまった。
一方でしばらくすると、早く亡くなってよかったのかもしれないと思った。
ピピが息を引き取っても、また起きるんじゃないかと、
しばらくは動けなかったが、もうピピが戻らないと覚悟を決めると、
とにかくピピを入れる段ボールと花を買いに車を走らせた。
後はどうやって埋葬するか。
僕が飼っていた猫は市役所にお願いしたが、今日は日曜日。
しかも明日は祝日。どうしたモノかと考えていたが、
民間のペット葬儀に出せる訳もなく、ネットで調べて、
市役所は祝日でも引き取ってくれることを知り、
次の日の朝に連絡することを決める。
折しも台風の接近で気温もそれほど高くなく、
段ボールに花束や餌などを詰めてピピを眠らせて一夜を過ごした。

ピピを見れば見るほどいろんな事が思い返されて辛かった。
明日になれば最後の別れになると分かっていても、なかなか直視できなかった。
紛らわせようと酒を飲んでも全然酔えない。

思い返すのはピピがやってきたひどいことばかり。
でもそれが、何故か微笑ましく思い返されて仕方がない。

掘り返され、えぐられた畳や、暴れて穴を開けた襖。
脱走しないように閉じ込めた風呂場から、無理矢理こじ開け無残にも壊れた扉。
その時は、ピピに対してどうしようもなく腹立たしく、途方にも暮れたのだが、
今となってはそれが、形見であるかのようにそこに残っていた。
その時は、ただただ「どうしてこんなに馬鹿なんだ!」としか思えなかった。
ちゃんと躾けられない彼女にも苛立ちを覚えた。
部屋を荒らしまくり、脱走を繰り返すピピを見て
正直、「どっかへ行ってしまえ!」と思ったこともあった。
脱走してしばらく帰ってこなかったときも
「このままいなくなった方がいいのかな」とさえも思ったこともある。
しかし、傷だらけで片足が不自由な中で必死に家まで帰ってきたとき、
とても嬉しかったし、可愛かったし、こいつも家族なんだ愛おしくと思った。
家に帰り着きたくて必死だったんだなあと思うと
たまらなく切なかった。
家の者に邪険に扱われてても、帰ってくると飛んで玄関に迎えに行くし、
ピピを笑顔で家族は迎え入れていた。

腹立たしく思ったこと、
苛立ったこと、
憎らしく思ったこと、
邪魔に思ったこと。
その全てが、今は愛おしくも思えるし、おかしくも思える。
そこにピピがいた証が思い出として残っていることがたまらなく嬉しかった。

僕は成犬になってからの6年ほどしか知らないが、
彼女たちにとっては14年ほど共に暮らした家族に違いなかった。
どんな悪さをしてもいいから、元気な姿で帰ってきて欲しいとさえ思う。
それは叶わない想いだと分かっていても。

2008年4月10日に愛猫ナナが亡くなったときも本当に辛かった。
でも、その時は本当に老齢で天寿をまっとうしたという感じだった。
日に日に弱っていくし、トイレにも行けなくなったが、
目に見えての苦しさは感じなかった。

ピピは本当につらそうだった。
言葉には出せないけれど、苦しくて痛くて辛くて、じっとしていられなくて
うろうろ歩いては後ろ足が効かず倒れ込んでしまっていた。
いつもなら隣の犬が吠えたら、競うように吠え返していたが、
それすら耳に届かないのか、ピクリとも動かず、
まっすぐうつろな目を向けていた。

今は、その苦しみから解放され別の世界へ旅立った。
あの世というものが、本当にあるのか僕は行ったことがないので分からない。
ただ、脳の活動が停止し心臓が止まり、ただ動かなくなっただけだという人もいるかもしれない。
でも、僕は、ピピが天国で生きていることを信じていたいと思う。


ピピが生きているとき、「本当にこいつは幸せなのかなあ」と考えたことが何度かある。
一日一回程度の散歩。
ひどいときはその一回の散歩さえ忘れられてしまう。
たまらず家の中でおしっこをして怒られる。
餌も一日一回。それは犬なら普通なのかもしれないが、なんだか不憫だった。
身なりも整えてもらえず伸び放題の毛。
たまに息子に切ってもらっていた。
道行くシュナウザーとは大違い。
でも、周りの子供達は揃って「可愛い」と行ってくれていたし、
僕もそんなボサボサなピピが愛らしくて好きだった。
ピピもそんな家が大好きだったのだと思う。
家族みんなのことが大好きだったと思う。

ピピは幸せだったのかなあ。
その答えは永遠に分からないのだけれど、
ピピと出会って、数年の、しかも週一回程度しか過ごしていなかったけれど、
僕は本当に幸せだったなあと思う。
ピピと過ごせて本当によかったと思う。
だって、こんなにも悲しいのだから。

どうしたらいいのでしょうか?


年からなのか、脳のどこかをやられたらしく目もみえないようで、心拍数もかなり高く、時折奇声というか、キャイ~ンキャイ~ンと吠え続けたりします。
病院ではMRIをとって詳しく調べてみないとわからないといわれ、それとて分かったからといって延命するくらいの手立てでしかないらしいのです。
苦しんでる姿を見るのはとてもつらいです。

43歳、学生

学校に行き始めて、約一週間が過ぎました。

10年以上前にも学校に行っていたのだが、その頃は30歳、
年齢のせいだろうか、50分ほどの授業が午前、午後と3回ずつあるのだが、
かなり疲労度が高い。

午前中はまだ、体力があるのかあっという間に時間は過ぎていくのだが、
午後になるとかなりしんどくなってくる。

約一時間人の話を集中して聞くというのは本当に疲れる作業だ。
授業が終わった後は本当にクタクタで放心状態です。
まだ、仕事をしている方がマシなくらい疲れる。

帰ってから復習しようと思うのだが、パソコンのスイッチすら入れる気になれない。

僕は学校でWEBデザインの科目を受講しているのだが、
今はまだ、Word、Excelの使い方のみなので、
分からないことは少なく、教え方も丁寧だし、
想像以上に中身の濃い授業なのだが、
如何せん、終わった後の疲労度がハンパない。

30歳の時に行っていた学校は一年間で
パソコンのことを全く、ましてやグラフィックソフトの事なんて分からない状態で通っていたにも関わらず、楽しくて楽しくて仕方なかった。

今は苦痛とは言わないが、疲れ方がひどい。
年なのかなあと思う。
前のホワイトボードや、パソコンを見た後、手元の教科書を見ると
焦点が合わない……(老眼です(ToT))

まあ、そんなことより、集中力が保たないのがつらい。
授業を真剣に受けてはいるのだが、
10分ごとぐらいに時計を見てしまう。

今回は3ヶ月の集中講座なので、何とか3ヶ月後にはホームページを作れるようになりたいのだが、どこまでできるやら…。


僕が行っている学校はWEBデザインの授業だけでなく
いわゆる就活の授業もあって
面接の受け方とか、社会人としての挨拶の仕方、文章の書き方なども教えてもらえて
そういう常識のない僕にはすごく役に立つのだが、
最初の授業にあった自己紹介、次の日に会った他己紹介はかなり疲れました。
それでも、火曜日から学校が始まって四日間で少しだが
クラスの人達とも言葉を交わすようになり、緊張感もほぐれて来ました。

25名定員のクラスで13名という少数で
周りの人も30歳以上が多く、50歳を越えてる人もいたり、
既婚者がいたりとバラエティにとんでます。
4月期や7月期の講座は若い人が多かったらしく
人数も多かったらしいのですが、
少人数なりに緊張感を持ちつつ授業を受けています。

しかし、この疲れはしばらくすると慣れるのか心配です…。

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