http://number.bunshun.jp/articles/-/821139
内田篤人選手についての記事です。
内田選手はこう言っている。
「自分たちのサッカーが出来れば勝てると思うのか、相手が自分たちのサッカーをさせてくれないくらい高いレベルと思うのか、それは人それぞれだ」と話していた。
「W杯は勝つことが目標なのか、自分たちのサッカーをすればOKなのか? それは選手だけじゃなくて、見ている人もそうだし、一人ひとりの考え方でしょう」
結局考えてることは、それぞれ考えていて、
メディアに載るのはその一部分、表面でしかない。
その表面を見て、「努力が足りない」「覚悟が足りない」と論じるのは簡単である。
しかし、その表面だけで、人を非難するのは愚かだと思う。
僕は阪神タイガースが好きで、阪神ファン特有のアンチ巨人です。
しかし、巨人ファンは阪神なんて眼中になくアンチ阪神はいない。
アンチ阪神ファンは多数いるだろうけど。
同じ事が韓国と日本の間にもあるような気がする。
阪神ファン全てではないだろうが、僕自身阪神の試合を見ているといつも不安で仕方がない。
「また三振するんじゃないか」
「また打たれるんじゃないか」と。
一方で相手チームの打者が打席に立つと、例え1割台の選手でも打ちそうな気がするし、
相手チームの防御率が悪いピッチャーでも抑えられそうな気がする。
そしてその予想は見事に当たる。
三振やゲッツー、ホームランを打たれたシーンが脳裏をよぎる。
負のイメージしか起きない。
もっとも、そういうイメージの方が脳裏に強く残るからそう思うのだろうし、
それ以外の好結果の時もあっただろうが、さして残っていなかったりする。
これと同じ事がWBCでも起きる。
日本代表選手が打席に立つと、マウンドに立つと
普段は阪神がやられている選手なのに打たれるイメージや押さえられるイメージが湧いてくる。
それが僕の気質なのか、日本人の気質なのかは分からないが、
勝負に対する負のイメージというものは常々つきまとう。
これが選手として現場にいるのなら、そのイメージを払拭する為に努力をするのだろうし、戦術を練るのだろう。
ただ僕が感じるのは、
確かにヨーロッパで活躍するサッカー選手だって負のイメージはあるだろうし、プレッシャーも多分にあるだろう。
前回大会だったかメッシが活躍できず非難を浴びたこともある。
海外は日本ほど優しくなく、ひどいコメントを浴びせる。
ちょうど今日、ヤフーニュースに出ていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140627-00000011-dal-socc
日本人が好きそうな記事である。
昨日の長友の会見での涙をこらえてたシーンもそうで、こういうシーンには目頭が自然と熱くなる。
これが日本人の気質なのかもしれないが、
こういうところは日本人の良いところでもあり、悪いところでもある。
1994年フランスW杯で予選敗退で帰ってきた城彰二選手が水をかけられたこともあったが、
基本それほど、海外ほど批判の矢面に立たされることはあまりない。
負けて帰ってきても拍手で迎えられることの方が多い。
大らかなのか、寛容なのか…。
海外ではオウンゴールをしてしまった選手が射殺されたこともある。
この民族性の違いがどうこうというのではなく、
島国で、他国からの侵略に対し海がある分、警戒レベルがさがる国と、
フェンスや壁一つで区切られいつ攻められてもおかしくなく、
他民族、他国を信用できず、狡猾に生きることが生き抜く術だと教え込まされている国では根本的に全てにおいて違うと思う。
そういう島国社会で育った民族、国は基本的争い事、勝負事に対して、
勝たなければ死ぬという考えが根付いてないのかもしれない。
どこかに「次がある」という前提があるから徹しきれず、簡単に負のイメージを脳裏に呼び起こすことが出来るのかもしれない。
それが死と直結しないから。
あくまでも勝負は楽しむ為のもの。
否、勝負というものを楽しめるほど安心した社会で暮らせているということではないかと思う。
生死の危機感に襲われることはそれほどない。
いくら夜道を一人で歩いては危険だと言っても、その実それほどの危機感はないと思う。
「万が一に備えて」のレベルだと思う。
これが紛争地域や治安の悪い国だと「夜中に外を歩く人間が悪い」が常識となる。
そういう価値観の全く国同士が戦うと、やはり普段から危機感を持たされているものといないものでは根本的に出せるパワーが違うと思う。
もちろん島国じゃない国も多く負けているし、島国国家の方が圧倒的に少ないのだから、
こんな理論は成り立たないのではあるが、それでもそういう要素も一つとして考えられるのではないかと思う。