もぐぞうのあなぐら

周りの人達と上手く渡り歩けないもぐぞうが日々感じたことや考えを思うままに書き連ねます。

映画の穴

それがアタリかハズレか決めるのは自分の意識だ。

ここんところ、どうもスッキリしない日が続いている。
それは仕事が決まらないからだ。
そんなんだからWordPressの勉強にも集中できないし、やる気も出ない。
ちょっと気分を変えようと録り溜めてある映画の中からアクションものでも観てすっきりしようと思った。

まず観たのが「ダークナイト」。
僕の好きなクリストファー・ノーランが監督したバットマンシリーズだ。
どうも集中できずに観ていたが楽しめる作品ではあった。
「バットマンビギンズ」は観ているはずなのだが、どんな話だったか思い出せない引っかかりを残しながら観ていた。
その流れで、「ダークナイトライジング」を観た。
これもクリストファー・ノーランらしい作品で面白い。
中ダレがないし、もう終わりかな?と思ってもまだまだ新たな展開が待っていて面白かった。
面白くはあったのだが、スッキリしないのである。
アクション映画ではあるのだろうけど、考えさせられるというか映画の作り方、ストーリーの運び方、そのシーンの意味などを考えてしまい単純に楽しめる作品ではなかった。

それで、単純なアクション映画を探し「ハンガーゲーム」を観たが、これはひどかった。
「バトルロワイヤル」のパクりだと騒がれたらしいが、それ以前につまらない。
ご都合主義のルールになんの面白みも感じない。
「ハンガーゲーム2」はもっとひどい。バトルらしいバトルがないのである。
唯一の収穫はジュリエット・ルイス似のジェニファー・ローレンスだ。
彼女のイメージビデオと言って良いくらいつまらない映画だ。
なぜこんなのがアメリカでヒットしたのか分からない。

で、その後どれを観ようか考えて「インセプション」を選んだ。
詳しくは下記のサイトでも見てもらえればいいが、
http://inception.eigakaisetsu.com/

http://matome.naver.jp/odai/2133372094825896601
とにかく不思議なんだが、退屈させないというかアクションで間を持たせつついいたいことを最後の最後で言うという作りは好きだ。

本来なら観たい映画がどういうストーリーでどういう点が面白かったかを丁寧に書けばいいのだろうが、
どうもそういうのは苦手だし、他のサイトを観ると僕が気付かなかった点や解釈を丁寧に書いておられるので、
そこを見るのが一番良いと思うので書かない。
また、詳しく書きたいと思った時にでも書こうと思うが、とにかくクリストファー・ノーランは良い監督だ。
J・J・エイブラムスと並んで、今僕が好きな監督の一人だ。
ストーリーの運び、見せ方が本当に上手い監督だと思う。

「インセプション」でラストのシーンが問題となり、あれが夢だったのか現実なのか議論されたらしいが、
その中で、ノーランが語っている「コブがコマを見ていないという点だ。コブはあのとき自分の子どもたちを見ていた。彼はコマを捨てたんだ。それこそが、あの場面において最も大事なことなんだよ」のコメントには衝撃を受けた。
そういう見方があるのかと!
とにかく、ラストが夢オチなのか現実に戻ったのかという結論なんかどうでもよくて、
コブがコマを捨て去った、つまりトラウマを克服したことこそが重要なテーマでそれこそが結論なのである。
それ以外は、潜在意識に潜るとかインセプションするとかはどうでもいいと言ってのける器の大きさに圧倒される。
もちろんその言葉を知らずに映画を見終わったなら誰しもが「??あれ?どういうこと?」ってなって仕方ないと思う。
しかし目先のそういう疑問に惑わされて本来映画が監督が言いたかったことを見失うのはもったいない。
その違和感にダレもが気付いているのに、コブがコマを回してすぐ子供に駆け寄ってるシーンはしっかりと描かれているのだからそこをくみ取らないともったいない。
もちろんノーランがお遊びで、茶目っ気でラストにコマの回転シーンを撮したんだと思うのだが、
そういうところを微笑んで見れるくらいの余裕があれば良かったと思う。

CUREという古い映画を観た

黒沢清監督の「CURE」を観た。
???の結末で面白いとは思えなかった。

しかしネット上でネタバレを見ると「そういうことか」と合点がいった。
下記にそのURLを。他にもたくさん上がっているので、それだけ理解できなかった人が多かったと言うことだと思う。

http://okwave.jp/qa/q5311251.html

昔ならそういう映画もありだったかもしれない。
エヴァンゲリオンがそうだったように。
しかし、映画やドラマを観て完結しないストーリー、視聴者に補完を促すストーリーに最近は抵抗を感じるようになり、ただただしんどいだけの映画に思えた。
創り手としては面白いのかもしれないし、そういう映画もあっても良いのだろうと思うが、
今の僕にはしんどいとしか言いようがない。

逆に「シャーロック・ホームズ」という映画も観たのだが、娯楽と謎解きが折り混ざっていて楽しく観れた。
もっともコナン・ドイル原作の「シャーロック・ホームズ」を読んだことがないので、
どこまで脚色されているのかわからないが、原作信者にとってはたまげた作品なんだろうと思う。
娯楽映画としてはこの上ない出来で楽しめる映画だった。
気になる伏線は最後の最後でちゃんと掬い上げてくれているしね。

ここまで娯楽に徹する必要はないだろうが(その趣向性の違いから)、
「CURE」も少なくとも謎を解決する糸口は明確にして欲しいし、
最低でもその糸口を見つけようと観た者を動かすだけの力は表現して欲しいものだ。
僕は、録画しておいたものを観たからすぐに調べられたが、
映画館でこれを見たら訳の分からないまま、忘れ去られてしまうような映画になりそうな気がする。
もっとも上映から15年以上経っても、こうしてネットで調べられるということは
観た人それぞれに良くも悪くも記憶に残っているからこそだろうし、
その時代が創らせた映画だったのかもしれない。
その時代その時代の空気感というか流れというものがあるし、
それは期せずして似たものになることが往々にしてある。
1997年前後の映画を調べてみると分かるかもしれない。
エヴァも1995年放送開始だし、そういう謎解きを視聴者に委ねる時代だったのかもしれない。

ビデオやブルーレイなどは便利なものなのだがその時代の空気というものは包括できないのだから
やはり、創られたものはその時に観るのが、当然ではあるが一番良いのかもしれない。

「アナと雪の女王」を観ました。

先日、ようやく「アナと雪の女王」を観てきました。

まあ、いい映画ではありました。
ただメルヘンの王道というか、下手な映画です。
40歳を越えるとこの手のストーリー展開は何度も観ているので新鮮みがありませんでした。

ただ、こういうストーリーを初めて見る子供達にはとてもいい映画だと思います。
メルヘンというか、子供向けの映画としては素晴らしい内容だと思います。
持って生まれた特異な能力。
それははじめ、コンプレックスでしかなかったのだけれど
それを受け入れることで個性になる。
また、困難に立ち向かうには強い意志が必要だということも、合わせて表現しているように思えました。
ラストで、アナが身を挺してエルサを救い氷になって固まっているシーンはハッとさせられました。

何より凄いなと思ったのは、アニメーションの表現力です。
最近は3Dのようなアニメーションで、フルCGなのでしょうが、滑らかで、
モーションキャプチャーか何かを使っているのでしょう、口の動きとかも性格で
骨格の動きなんかもあたかも人が動いているかのようなアニメーションでした。
はじめは、手描きこそアニメの醍醐味だと思っていたのですが、
この「アナ雪」に関してはそれが成功していると思います。
トイ・ストーリーなんかも、観ていないので分かりませんが、おそらく似たような感じで成功していると思います。

3Dの吹き替え版を観たのですが、
眼鏡をかけていったためかその恩恵はいまいち感じられませんでした。
2Dでも充分立体的な映像ですし、
中盤あたりのエルサを探しにアナが雪山をクリストフと歩き回るシーンは3Dならではの美しさがありましたが、
それよりも顔につけてる違和感の方が強かったです。
もし、次に3D映画を観に行くようなことがあれば、コンタクトを着けてどう変わるか試してみたいものです。

後、気になったのが巷で話題の主題歌です。
日本語版は松たか子さんが歌っているのですが、
この歌はよくラジオから流れていて、その表現力からとても好きになった曲です。
May.Jよりも正直好きです。
松たか子さんの歌声を聴いて観に行きたいなあと思うようになりました。
また、歌詞もよくて英語の翻訳は味気ないのですが、
日本語版の歌詞は、映画のストーリーとマッチしていると共に
それ単体で聴いても色んな想いを想像させるいい歌だと思います。

アナと雪の女王 – Let It Go 松たか子


降り始めた雪は 足跡消して
真っ白な世界に ひとりのわたし
風が心にささやくの
このままじゃ ダメなんだと

とまどい 傷つき
誰にも 打ち明けずに 悩んでた
それももう やめよう

ありのままの 姿見せるのよ
ありのままの 自分になるの
何も怖くない 風よ吹け
少しも寒くないわ

悩んでたことが うそみたいね
だってもう自由よ なんでもできる
どこまでやれるか
自分を試したいの
そうよ変わるのよ わたし

ありのままで 空へ風に乗って
ありのままで 飛び出してみるの
二度と 涙は流さないわ

冷たく大地を包み込み
高く舞い上がる 想い描いて
花咲く氷の結晶のように
輝いていたい もう決めたの

これでいいの 自分を好きになって
これでいいの 自分信じて
光あびながら 歩きだそう
少しも寒くないわ


英語版の和訳は


アナと雪の女王 Let it GO-イディナ・メンゼル


山では今夜 雪が白く輝き
足跡も残らない
隔たりの王国、
そして女王様はきっと私ね
風はうなる この内なる嵐のように
もう十分抑えてきたこと 神様は知ってるわ

誰も入れてはだめ
誰にも見せてはだめ
いい子でいなくちゃだめなの
隠さなくちゃ、感情さえも
気づかれてはだめ
でももう、彼らは知ってしまった

もういいの、ありのまま
これ以上我慢なんて出来ない

もういいの、ありのまま
背を向けてドアを思いっきり閉めて
気にしないの
彼らが何を言おうと
嵐よ吹き荒れなさい
とにかくもう気にしないの

笑っちゃうわね 少しの距離が
全てを小さく見せてくれるなんて
私を抑えていた恐怖も
もう苦しめることはないの

今がその時 私の力を知り
限界を試して それを超えるの
正しいことも、間違ったことも、ルールもないわ 私は自由よ!

もういいの、ありのまま
私は風になり空になる
気にしないの、ありのまま
もう私が泣くことはないわ
私はここに立ってる
そしてここにいるの
嵐よ吹き荒れなさい

私の力は 空を舞い大地を揺るがして
魂は凍てつく図形となり渦を巻く
想いは氷の爆風のように結晶となって
もう二度と戻らないの、過去は過ぎ去ったのよ

もういいの、ありのまま
私は新たな夜明けを迎える
気にしない、ありのまま
理想の女の子なんてもういない
私はここに立ってる
陽の光を浴びて
嵐よ吹き荒れなさい

とにかくもう気にしないの!


断然、日本語版の方がいいです。

ストーリーにマッチしていますし、その上で、曲単体としても聞き手に様々のことを思い描かせる表現力が素晴らしいです。

訳されたのは高橋知伽江という方で、かなり苦しまれたそうですが、

それが、見事に結実していると思います。


サントラを買おうと思ったのですが、

色々ありまして、中には英語版のみのものも当然あって、

Amazonなんかのレビューでは間違って購入したなどとかいてありました。

アナと雪の女王 オリジナル・サウンドトラック-デラックス・エディション-

というのが英語版と日本語版両方付いたサントラらしいのですが、

当然のごとく、初回版が売り切れていて

初版フェチの僕としてはどうしたものかなあと思案中です。

今日、いくつかのCDショップを巡ってから決めようかなあと思っています。



ドラゴンタトゥーの女

今日、と言ってももう昨日になるのだが、
ようやく「ドラゴンタトゥーの女」を観てきた。

スウェーデン版を既に観ていてすごく面白く
ネットなどでハリウッド版の評判を見ていても
結構評判がよかったので、最近では珍しく映画館で観たい映画だった。


感想を率直に言うと、スウェーデン版のリスベットの方が僕は好きだなあ。
他の配役は別に違和感はなかったが、
リスベットのあの髪型は今イチだった。

ストーリも大方スウェーデン版に似ていたが、
要所要所にハリウッドの雰囲気を漂わせていた感がある。
ラストがちょっと爽快感と言うか、そういうのがなく
湿っぽい終わり方だったのが「なんだかなあ…」って感じでした。

ただ、スウェーデン版を観ていたにもかかわらず、
2時間半を十分楽しめたのだから、
それなりのクオリティだったと思う。
最初にこちらを観ていたらどういう感想をいだいただろか…。
スウェーデンの方が精神的に痛い感じがしたし、
ハリウッド版の方がテンポはすごくよかったし、
カメラワークもハリウッドの方がよかった。

ただ、何とも言えないスロウリィな独特のヨーロッパならではの「間」が
とても好きなので、その空気感は何とも捨てがたいと思う。

ここらへんは好き好きなのだが
ハリウッド映画よりはヨーロッパ映画の方が個人的に好きなので、
リメイク版より本作の方が好きです。

ルイマル、フランソワ・トリュフォー、リチャード・アッテンボローなどが
好きな僕にはハリウッド映画はサービス過剰に思える。

ミレニアム三部作の一部と言われる今回の映画、
スウェーデンでは既に三作とも上映されているが、
ハリウッドも三作を作るのであろうか?

個人的には三作目が結構好きなのだが…。


足に合う

「素敵な靴だけど私の足には合わないわ」

P.S.アイラブユーという映画の台詞らしいです。
立派な男性からいいよられた主人公がその男性に向かって断りを入れるときの台詞だそうです。


どんな素敵な、立派な、高価な靴でもその人の足に合わなければ
歩きにくかったり、靴ずれができたり、疲れやすかったりします。
逆に安物の靴でも足にフィットすればとても楽に歩けます。
そして、その靴が好きになってボロボロになっても履いてたりして
「いい加減、新しい靴を買ったら」なんて言われたりして…。
やっぱり靴って生活に密着してるから着眼点というか、
靴に何を求めるか人それぞれだろうけど、やっぱ機能性っていうのは重要だと思います。

おそらく立派な青年実業家みたいな男性にプロポーズされたけど、
どうしようもない男の方を選んでしまったみたいなところなのかもしれないけれど、
おしゃれな良い台詞だと思います。


こんなことを日記に書いて良いのかわからないけど、
できれば、最後まで読んで僕の意図をくみ取ってください。


時々、ふと何故彼女と付き合ってるのかなあと思うことがありました。
別にそれほど綺麗でも可愛いわけでも(本人は「かわいい」と自画自賛してますが)ないし、
家庭的である訳でもありません。
彼女の作った料理は本当に美味しいのですが、
それ以外のところで、いろいろとちょっとした問題があったりします。

僕自身、結婚願望がある訳でもなく、子供が欲しい訳でもありません。
別段、一人で寂しいわけでないし、どちらかというと一人でいることが好きなタイプです。
ですので、「彼女が欲しい~」とあまり思ったことがありません。
そんな僕がひょんなことから彼女と付き合うことになったのですが、
出会ったもうそろそろ5年になります。
ラブラブな時期もそんなになかったと思います。
でも、なんか別れられないのです。
確かに何度か別れたりもしましたが、いろいろあって、またくっついたりしてます。

そこで、冒頭の台詞です。

「素敵な靴だけど私には合わないわ」

おそらく僕にとって彼女は「合う靴」なんだと思います。
足になじむ良い靴なんだと思います。
歩きやすくて疲れない、彼女はそんな靴なんだと思います。

ブランドものの靴でもないし、
高価な靴でもない。
ちょっとした靴屋さん(失礼かな)で見つけた靴かもしれませんが、
とても履きやすい靴。
僕にとって彼女はそんな感じの人なのかなあと、ふと思いました。

高い靴を履くと気を遣ったり、それに合う服に悩んだり、
あるいはプレミア付きの靴なんかだと履かずに飾ってしまったり…。
でも、そんな靴ではなく
靴本来がもってる用途を十分こなし、
履く人がその存在を忘れるくらい軽くて心地の良い靴、
それが僕にとっての彼女なんじゃないのかなあと思いました。


この台詞があった映画を僕は観たことがありませんが、
この台詞はいろんな状況でも当てはまるような気がして
良い台詞だなあと思いました。






ギャラリー
  • 能登は素晴らしい。
  • 能登は素晴らしい。
  • 能登は素晴らしい。
  • 能登は素晴らしい。
  • 能登は素晴らしい。
  • 能登は素晴らしい。
  • 能登は素晴らしい。
  • 能登は素晴らしい。
  • 能登は素晴らしい。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
楽天市場
  • ライブドアブログ