もぐぞうのあなぐら

周りの人達と上手く渡り歩けないもぐぞうが日々感じたことや考えを思うままに書き連ねます。

健康の穴

僕にできること

僕の友人の友人のことです。
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長文ですが、できるだけ多くの方にとりあえずは読んで頂けたらと思います。
それだけでも結構です。

一昨年の11月末に子宮筋腫と診断され全摘しかないと言われその日に、ちょうどピルを飲んだところから身体がおかしかった。
ピル飲んで腹痛と出血もひどく初めは当直の医師にピル飲んでから余計に調子がおかしいと言ったが、続けないと意味がないと言われそのまましんどく ても飲み続け、診察の日に医師に告げてもおかしいな~とだけで痛み止めのボルタレンをもらいました。それでもだんだん仕事もできないぐらいに腹痛と出血も 続き結局出血が止まったのは去年の1月。痛みはもう日常生活もできないぐらいに痛く、ボリタレンも毎日マックスの量をもらって飲んでも聞かず寝たきり状態 になり、年始の診察でやっと入院での痛みの管理を点滴ですることになり手術までずっと点滴で過ごしていました。やっと手術の日が来て去年の1月半ばに子宮 筋腫の開腹の全摘手術をしました。術前の麻酔の問診では、副作用が普通の人ではならないことがなりやすい体質だと告げたが、医師は3時間ほど寝ていたら目 が覚めて終わっているから怖くないよとだけで深い説明はありませんでした。全身麻酔と硬膜外麻酔をするとのこと。どきどきしながらこんなもんか?と思いな がらの簡単な説明。手術が終わり目が覚めた頃から違和感があり、足が痺れた感じと痛くてまた硬膜外麻酔した箇所から痛み止めの点滴をするために同じ個所に 針が腰に刺さったままでした。そこの痛くて看護師などに告げたが、開腹しているのでこの点滴は必要だといい足も次第に楽になるでしょうと言われました。し かしどんどん痛みと痺れがくるのでそのたびに看護師にも告げるがそのまま聞くだけ。次の日昼まで何度か痛みを訴えるのですが聞き入れてもらえずやっと両親 や親せきの面会をして終わった時にはもう痛くてしょうがないので、看護師をよび主治医を連れてきてもらいやっと点滴の針を抜いてもらました。そしたらだん だん痛みが増幅しおなかも痛くなり身体も硬直し奇声を上げるほど痛くて転げまわるぐらいベッドで叫んでました。3回ほど部屋を看護師の近くに移動していっ たと思います。そして家族には危篤状態になっていることもつげ家族も来ていたので自分でも全身硬直してきたのでもう死ぬんだなと思った。変な感じで痛いと 言ってる自分とゆっくり時間が回って考えている自分といるのが覚えている。
なんとか集中治療室から部屋に戻った時に、身体が変??
右足が2倍に腫れあがり動けなく固定状態に、痛くて何が何だか・・・
主治医から横紋筋融解症だと告げられ「麻酔の副作用でお尻の下からひざ上まで筋肉が溶けて水になってしまったために足が腫れあがり2・3日はもっ と腫れあがるでしょうと。二度と歩くことができないかも」と言われショックで何とも言えないぐらいの衝撃でした。この副作用と思われる薬剤は、”プロポ フォール注・セボフルラン・臭化ロクロニウム”です。子宮筋腫で苦しみやっと手術して退院できると思っていたのに母子家庭の私はこれから先どうやって生活 すればいいのか、もうここから出れないのか、好きな車も乗れないどこにも行けないと何もかもがパニックでした。医師からは「この病院だから助かったんだ よ」と。ん??何言ってるの?「私らもこんな症状知らないから治療方法がわからない」と。ならどうして痛いと術後に叫んでいた時検査や医師を呼んできて針 をいったん抜くなりしなかったんだよ!!
2.3日するとどんどんはちきれんばかりの太さになり、下着も太ももが太すぎてはけずおむつもできず無理やり下着を食い込みながらはいて、動けな いから看護師に介護を。1か月ほどそれをしてもらうのが苦痛でショックでしかなかった。毎日泣いてばかりで、子供と離れて暮らしたこともないのでそのさみ しさで余計に帰りたくて毎日毎日泣いていました。
私の姿を見た両親も泣いたでしょう。親せきやこの状況を聞きつけた友達がたくさんお見舞いに来てくれましたが皆姿を見て泣いていました。きっとど ういう言葉をかけたらいいのかわからなかったのでしょう。入院も全摘することもショックだったので友達には黙っていたので、数人だけ告げそこからネット ワークでいろんな友達に治せる医師や病院がないか、励ますために連絡をしたのでしょう。
主治医も婦人科から総合内科に変わり、主治医や研修医にすがりつきながらどこか治せる病院医師を探してほしいと懇願しました。大学病院や近くのリ ハビリができる病院とかの転院・セカンドオピニオンもお願いしましたが西日本には受け入れるところがないと断られたと告げ割れました。右足は溶けて腫れあ がりましたが左足は電流が走るように痺れたままでした。医師も治療がわからないようなので不安でいろんな痛み止めを飲まされこのまま殺されるのではと不安 にも陥りました。入院中は痛いと言えば「生き返っただけでもラッキーなんだからこれぐらいは我慢しな」「生きられたんだから痛いのは我慢しなさい」それば かりまた副院長回診ではどうですか?と聞くので「開腹したところがひきつれて凹んでおへそ2つあるみたいになったますが?」といえば「それぐらい許したっ て!」また、ん??「許したって??こんな足にしといて?」と言えば研修医つれて「はははっ」と笑って逃げるように去っていく、また長くいれば「まだいる の?」知ってるくせに!こんな風になって動けないからなのに・・・研修医にたちに「長いこと入院してるからみなさんしょっちゅう顔だしたりな~」とぶじょ くにも程があります。左足が痛くても坐骨神経痛だからと言われでも術後からしびれてるから違うと言っても聞いてもらえず歩けるようになれば治ると言いなが ら、他の病院に転院希望してみてもらうこともなく治る見込みのない飲み薬をただ飲み副作用で嘔吐。その痺れをごまかすためにず毎日アイスノンを左足にして ました。これでごまかすしか知られないから・・・右足が腫れが治まりましたがやはり歩くのはなんとかリハビリの時の短い時間では支えながらもできたが階段 はなかなか支えてもらってそばにいてもらわないと落ちそうで・・でもリハビリもリハビリ制限があるためにせっかく毎日リハビリして歩きかけてきたのに制限 で毎日ができなくなりました。これもおかしな制度だと思います。この身体に発症して180日しかリハビリはできない。でも実際動けるようになるまでは寝た きり。その日もカウントするのですからリハビリ期間は短いです。リハビリの医師も今はこれでリハビリ難民がいると。お金がないとリハビリ制限で保険が利か ないからそれ以上するのに実費だから余計に治りかけてもまた悪化すると。その通りだと思います。治そうと努力してるのにお金持ちしかリハビリもできないな んて。この病院にいる意味が余計になくなったので、7か月後退院しそこから治療してくれる病院を探しました。退院するまで一度も麻酔を投与した麻酔科医が 会いに来ることはありませんでしたし、病状の説明もありませんでした。退院前にミスはなかったのか聞きたくて話の場を設けてもらい聞きましたが、その麻酔 科医はふてくされたまま「私は悪くありません。面会に行かなかったのは人間として申し訳ありませんでしたね」と病院は認めることはありませんでした。ま た、主治医には障害者手帳をもらうのであれば、他の病院でリハビリしてはいけないと言われそのまま間にうけていたらだんだん歩けなくなり筋肉も固まりだし たので、入院中に行きたいリハビリ病院へかかりつけの医師の紹介ですぐ行けました。そこで手帳があるのですがリハビリいいか聞くと、「そんなん聞いたこと ないよ?手帳持っててもリハビリ来てる人ほとんどやで」となんであの病院がそんなことを言うのかわからない。そのおかげで入院中に歩けるようになりかけた のに、杖もついてあるけなくなり家なかでも壁つたいでしか歩けなくなり、今はここでリハビリしてます。
右足の溶けた痛みと、左足の痺れは一向に治まらず、個人病院のペインクリニックで治療したものの効果が出ず、その医師の紹介で「セカンドオピニオ ンとして大学病院へ行って治療を受けてみたらどうや?個人病院では使えない薬が大学病院では治療できる薬もあるから」と言われ大学病院へ。あれ?また入院 した病院が行っている引き受けない、治せないといっていたことと違うじゃない?今ペインクリニックとして通院していますがなかなか薬のコントロールがうま くいかず副作用がありますが、左足に関しての痺れは今いただいてる薬を飲んでる時は痛くなくなりました。効き目がなくなるとまた痺れますがやっと左足に効 く薬を見つけてくれました。右足は麻薬シールを4mgはり眠気と吐き気でいまだにしんどいです。
薬害救済制度の申請し麻酔薬として認定したにも関わらず障害年金の申請が通りません。薬害からは退院したら手当もらえない。でも後遺症が残って動けない人は生活もできない仕事ももちろんできないそこでどうやって子供を生活すればいいのでしょうか?
この体になったので、仕事もやめ医療費にお金もかかり子供が進学して寮生活なので介護してもらう人がないないので、収入もないのでマンションも払 えないので高齢の親に今は介護をしてもらっています。こんなふうになっても市や国から助成もありません。筋肉溶けた事例もあまりないので障害者の診断書に も欄がなく重症にも診断されないので障害者の制度も受けれる制度もほとんどない状態です。市町村によるからまちまちなのでしょう。
私ら家族・友達では医療過誤だと思っています。しかし麻酔科医の落ち度はなかなか問うことができず責任を問うこともできないようです。でもドク ターパワハラもあり、リハビリの病院に行ってはいけないとデタレメを言われた事や他の病院に転院できないと言われたこと、看護師が術後に早期に医師に伝え てればここまでひどくはならなかった可能性もあるのではないかと思っています。ネットでいろいろ検索しました。そこには麻酔薬の副作用で横紋筋融解症が発 症する可能性を患者にに説明することと記されています。麻酔科医にとっては稀なことだと思って、それよく使用する麻酔薬のためいちいち患者に説明しない医 師がほとんどらしいです。でも私のように稀に起きた患者はどうすればいいのですか?説明もなく同意書にも書いてなく起きた原因がわからない医師がバタバタ いしているうちに危篤状態にまでなった患者や家族は心構えもわけがわからないまま後遺症がのこり障害者になってしまいましたが、これでも医療過誤ではなく 運が悪かったと思うしかないのでしょうか?1年半すぎ筋肉が融解したところは筋肉がないから皮膚も薄くなりその隙間ができるのか皮膚が下がってきて骨が出 てきて今は、以前より座りことも尾てい骨がでて座れず右下にして寝ることも仰向けになることもできません。長時間座れないので下に台を置いて支えてもお尻 が痛いので車いすに長時間座れず、仕事も長時間座れない状況で毎日痛く、弁護士がなかなか難しい途中でやめたりと・・・精神的にもまいります。お金がなけ れば医療費を払えない・生活もできない・弁護士にお願いすることもできない。こういう人は泣き寝入りしかないのでしょうか?収入がなければ野垂れ死にしか なくなるのでしょうか?
だれかこの病気に効く薬や見てくれる医者はいないかな?
また弁護士も探しています。これをみてくれた弁護士さんたちも力になって頂けないでしょうか?よろしくお願いします。
同じように医療過誤・難病で悩んでるひとと分かち合って少しでも前向きになれるようになりたいです。
ここまで読んでくれた人ありがとうございます。
どうかシェアしてくれたり、でも助言でも何か道筋となるものが欲しいと思ってかかさせてもらいました。おねがいします。

胃腸が弱い

先週の土曜日の晩から、胃に激痛を覚え昨日医者に行きました。
そして今日、胃カメラを飲みました。

結果は、胃潰瘍、びらん性胃炎、おまけに出血とフルコースか!?というくらい胃が荒れてました。
ここ一ヶ月くらいは仕事が落ち着いていたので、まさか胃潰瘍になるとは思ってもみませんでした。


2月、3月のストレスが今になって来たというにしてはブランクがありすぎるし…、
まあ、考えればいくらでも理由はあるのですが、
この時期に来るとは意外でした。

でもまあ、薬を飲めば三日ほどで痛みは引くそうで、安心しました。

6月の中頃に風邪を引いて、その一週間後に胃のむかつきを覚えたのですが、
そのときは、夏風邪がお腹に来たのだろうくらいにしか思っていなかったのですが、
もしかしたら、それぐらいから胃がおかしかったのかもしれません。

僕は本当に胃腸が弱く、何かあるとすぐ下痢になっちゃうし、
ストレスで胃はすぐ痛くなるしで、本当に胃腸が弱いです。

まあ、それもこれもプレッシャーに弱い性格というのが起因しているのかもしれません。

しかし、本当に会社を辞めたいなあ…。

事後報告ですが

数年前から、右の耳の下、いわゆるエラと呼ばれるあたりにデキモノが出来ていて、初めは胃が荒れていてそれが皮膚に出ているのかなあくらいに思っていました。

というのも、僕はストレスに弱くすぐ胃腸をやられて、皮膚に出てしまうのです。
ストレスがたまると吹き出物がすぐ出てしまうのです。

初めはニキビみたいなものでしたが、徐々に形がはっきりしてきてぷくっと豆のような形のものが触ってもはっきり分かるようになりました。

しばらくは放っておいたのですが、まわりから最近おおきくなったんじゃない?
と言われだし、不安になり病院に行きました。

初めは整形外科に行ったのですが、これは耳鼻科だと言われ耳鼻科へ。
そして、しばらく薬を塗って様子を見たのですが、何の変化もなく
医師の診断ではおそらく脂肪の塊か何かだろうということでした。
悪性のものではないからそのままでもいいし、切除してもいいと言われ、
気になるので切除することを希望すると大きな病院を紹介されました。

で、診察を受け手術することを希望しました。
そして先週の金曜日にその腫瘍の切開手術をしました。

顔とはいえ、どの医者も大したものではないということなので、
大した思いもなく「ようやくおさらばできるんだ」くらいに思い、
手術当日を迎えました。

最初に簡単な触診をされて、外で待っていると手術室まで連れて行かれました。
エレベーターで2階に上がるとテレビドラマで見るような光景が広がっていました。
青く薄い衣服を身につけた人が何人かいて傍には家族らしい人もいました。
僕は一人で病院に行ったものですから、誰も付き添いはいません。
更衣室で手術着に着替えると、まさにドラマそのものの格好です。
頭にも髪の毛が出ないようにゴム止めの防止をかぶり、薄いボタンだらけの青い服でした。
こちらです。と言われ看護士さんに案内されて入ると
まさに手術室です。天井にはまぶしい無数のライト、もちろん手術台もあり、その時になって初めて緊張してきました。
そこに寝そべってくださいと言われ寝ると、徐々に体が硬直していくのが自分でも分かりました。
しばらくすると先生が入ってきて色々看護士さんと話をしています。
看護士さんから手術しやすい態勢を促され、首の下あたりにまくらを入れ、
右手を固定され、顔も左に傾けられました。
間もなくして顔に手術個所だけを見せるための穴のあいたシーツを被せられ、視界をさえぎられました。

間もなくして局部麻酔を三か所打たれ、手術が始まりました。
麻酔のため痛みは全くないのですが、手術個所が耳の傍のため
音がまともに聴こえてくるのです。
機械音やパチンパチンと何かを切る音とか鉄のすれる音とか…。
だんだん怖くなってきました。
見えないだけにいろんな想像が頭を駆け巡り、
今、こんなことをしてるんじゃないかとかいろいろ想像してしまいました。

30分ほどして手術が終わり、顔にかかったシーツや体にかかったシーツをとると、看護士さんが僕のかいていた汗にびっくり。
「すぐタオルを持ってきますね。」と急いでタオルを持ってきてくださいました。

切除した個所を見せてもらい、「まあ、おそらくアテローム(脂肪のカスのようなもの)でしょう」ということでした。

詳しくは来週の抜糸の時に検査結果が出てるそうで、その時に分かるのですが、僕の記憶がある限りでは初めての手術でした。

小さい時は結構病院で手術を何回かしたそうです。

術後2日経ちましたが、大した痛みもなく順調です。
土日は仕事にも出ましたし、
お酒も飲みました。

しかし、もう少し手術するということをちゃんと考えておけばよかったなあと今になって思います。

先生も簡単な手術ですなんていうものだから、ちょっとした個室でちゃっちゃと済むものかと思っていたのですが、恰好から周りを囲む医者、看護師からしてちょっとしたドラマ並みの情景でした。
いやはや、手術って本当に嫌なものですね。


結局これで、今まで飲んでいるパリエット、メリスロン、アビリット、バスモチン、デプロメールの薬加え、ロキソニンとセフゾンが増え、
薬まみれ薬中みたいです。
他にもデパスやカロナールとかロペミンなど数々の薬を持ち歩いています。

俺の体は大丈夫なんかなあ~。



久しぶりの精神科

夕べ出勤の事を考えると嫌で嫌でたまらず、以前から保管していたデパス0.5mを一錠飲んで寝ました。
朝起きられるか不安でしたが、夜中に何度も目が覚めてしまうくらいでいつも通り起きれました。
しかし、雪が降り積もる街の中を歩きながら出社すると、しばらくしてすごく気分が悪くなりました。
やらなくてはならない仕事だけをなんとか片付け会社を早退しました。

なんでこんなに気分が悪いのか訳が分からず別の意味で気持ち悪かったです。

もうこれは病院に行こうと思い。良いと噂のまるこさん行きつけのH医院に電話したら、4月まで初診の予約でいっぱいと言われ、やむなく6年前に診てもらっていたK診療所に行きました。
以前担当してもらった先生は休みで若い先生でしたが、現状を聞いて以前もらっていた薬を出すだけでした。なんの解決にもならん…。

ただ以前飲んでた薬の話をしてるときに「合わせて胃薬も出しておきましょう」と言われはっとしました。朝からの気分の悪さは胃薬なしでデパスを飲んだからなんじゃないかと。

結局、以前担当してもらった先生に診てもらうためそれまでの薬をもらって病院を後にしました。

自分が欝なのか単なる嫌々病、甘えなのか分からずです。

それでもやはり明日は会社があります。行かなくてはなりません。仕事をしなくてはなりません。
出来るんかなあ、こんな状態で。
やれやれ…。


右の耳の下に…

右耳の下の、いわゆるエラあたりに2年ほど前からデキモノが出来ました。

別にかゆい訳でも痛い訳でもないのでほっといたのですが、
いっこうに治る気配がなく、先日の土曜日に病院に行ってきました。

先週の火曜日に一度、整形外科と皮膚科を一緒に開業しているところに行ったら、これは耳鼻咽喉科の範疇みたいで別の医院を紹介されそこへ土曜日に行ってきました。

整形外科でもそうでしたが、別段悪性でもなくほっといても大丈夫ということでしたが、やはり気になるので取れるものなら取りたいのです。

周りの人には「最近大きくなったんちゃう?」と言われたり、
「リンパの近くやし危ないんちゃう?」とか、
あるいは、「注射ですぐ抜けるで」といろいろ言われましたが、
結局、気になって触っているのから大きくなっているかもしれないので、
二週間触らないでおいて、その後どうなるか様子を見ようということになりました。

それで小さくなればほっておけば治るし、逆に大きくなれば最近活発になってきた証しでもあるので切開しましょうということになりました。


もともと僕は胃腸が弱く、すぐ胃が荒れてそれが口内や顔の皮膚にデキモノとして表れるのですが、
これが出来た頃も、唇やらあごやらにニキビのようなものが頻繁に出来ていました。
似たようなものかなあと思って放っておいたのですが、
数年もこのままだと結構不安になり、病院に行った次第です。
結果は後ほどこの日記にて。

それと体重ですが、
天山の湯に行ったときは67.2kgまで落ちたのですが、再び元に戻ってしまいました。
なかなかダイエットは上手くいかないものです。

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